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将軍の私生活を支え出世の可能性も秘めていた「小姓」の仕事

「将軍」と「大奥」の生活㉓

■将軍の警護を担当した書院番、小十人組

 

 仕事をしているとどうしても限界を感じて勉強しなければと感じることがある人もいるだろう。現代ではプライベートな時間を使って勉強をしているという人も多いようだ。

 

 将軍も月3回、2時間程度、儒教(じゅきょう)を学ぶ上でもっとも基本的な『経書(けいしょ)』を奥儒者に講義させていた。この時、小姓たちも同席し、質問することが許されていたという。成島図書頭(なるしまずしょのかみ)が代々務めることになっており、見習いが一人ついた。

 

 将軍が外出する際には、書院番などが警護を担当した。普段は白書院(しろしょいん)に付属する紅葉之間に詰めたのでこの名前がある。戦時においては将軍の親衛隊を務めるため旗本の中でも良家の者が就き、外出する将軍の駕籠の前後を守った。

 

 小十人組(こじゅうにんぐみ)は、旗本の役で、普段は檜之間に詰めていたが、外出の際には先触れを務めた。将軍のお馬廻(うままわ)りを徒歩で守るため身軽でなくてはならず、海老のように赤い「海老殻具足」を幕府から貸し出されて身に着けていた。 

 

 さらに儀杖(ぎじょう)と警固を行う徒(かち)たちも同行する。普段は檜之間に詰め、先駆し、行く先々の道の警戒を担当する。一人の頭と二人の組頭の下に30人の徒歩で構成される組が三十組あった。現在JRなどの駅名で残っている御徒町(おかちまち)という地名は、彼らが住んでいた組屋敷があったことことに由来する。夏には隅田川で水練の成果を将軍に披露、将軍のお目に留まった者は良いポストに就くことができたという。

 

監修/中江克己、文/加唐亜紀

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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